オタク文化は絶対芸術2012年08月05日 15:39

いわいる「オタク」の文化がこれまでの文化と違うのは、その文化が閉じていることにあると思う。それまでの芸術は背後に人生論などが見え隠れしていた。というより、人生論を芸術という形で表したものだった。一方オタク文化は、存在するために存在する、いわゆる絶対芸術であることが特徴であると思う。

電車オタクは人生を豊かにするためではなく、電車に乗ることそのものを目的として電車に乗る。健康食品オタクとは、健康のためという当初の目的を忘れて、購入に重きを置いた人を言う。萌え漫画はその奥にある教訓を得るためではなく、読んで面白いことだけに価値を置く。

昔のギャグ漫画が「ナンセンス」、つまり意味がない漫画であることをわざわざ標榜しなくてはいけないほど、通常の漫画には「意味」を求められた。「右手にジャーナル(朝日ジャーナル)、左手にマガジン(週刊少年マガジン)」という標語がよく表していると思う。ナンセンス漫画の代表である赤塚作品のキャラクターであるニャロメでさえ学生運動の象徴となったほどである。

しかし萌え漫画は意味を求められない。場合によってはギャグすら求められない。存在そのものに意味があるのだ。オタク文化以外を満喫することを「リア充」とのたまうのも、オタク文化が「リアル」に根ざしていない事を意味していると思う。

あけたらめでたい?2012年01月01日 12:19

 あけましておめでとうございます。…って何がめでたいのかねぇ、年なんてほっときゃ死なない限り明けるのにねぇ。そうか、生きてる事がめでたいのか。だとしたら毎年じゃなくて毎日、毎秒、いつもいつもがめでたいのでは無いか?でも人に会ったときの挨拶は「おはようございます」「こんにちは」「こんばんは」等で、これはそれぞれ「お早いですね。」「今日はお日柄も良く、」「今晩は何をおしで?」程度の意味である(オソラク。これは相手への礼儀であり労いの言葉である。おめでたいという意味は含まれていない。
 では何故年始めだけめでたいのか?それにはまず「1年」について考えなくてはならない。この1年という単位はご存じの通りこの地球の公転の周期である。つまり、地球が太陽の回りを1公転した事がめでたいのである。一周する、つまり元の位置に戻る事がめでたい、という事から分かるように地球にとって太陽の回りを一周する事は大変な事なのである、しかし回っていないと公転の中心にある太陽に引き寄せられてしまう。そうなれば当然太陽の熱に負けてしまう。回れば地獄止まれど地獄なのである。そんな爆発したアポロ13号の様な状態でまたスタート地点まで無事に戻ったのがおめでたいのであろう。
 しかしそのおめでたい状態というのは、また地獄への出発なのである。はっきり言えばめでたくも何でも無い。しかしこれをおめでたいと考えないとどうしようも無い状態である。そこで無理矢理この状態を「めでたい」という事にしているのである。単なる合理主義である。
 実際に昔旧暦を採用していた頃は正月の「めでたい」日は今のそれと異なった時であった。つまり「めでたい」日は1年に一度来ればいつでもいいのである。そう考えるとこの正月という行事は、単に休日を公的に決めたその日に過ぎない。自分はそんな正月という馬鹿莫迦しい騒ぎに巻き込まれずに自分のやりたいことをそれこそ合理的に生きていきたいと思う。

カルトとオカルトの狭間2011年10月09日 14:50

 薬を通販で購入したら、おまけで「パワーストーン」がついてきた。なんでも「意思を頑固にして成功へと導いてくれる」そうだ。
 自分としてはこんなもん信じちゃいない。が、「パワーストーンを着けるほど必死な自分には就職フラグが立つかも」という漠然とした期待がもたげる。これとて心から信じているわけではないが、なんとなく持ち歩いている。

 こういった「縁起かつぐ」ようなことは誰でもあると思う。これをオカルトという。ラテン語で「隠れたもの」の意で、証明されていないものの総称である。このオカルトを心から信じるとカルトとなる。同じくラテン語で「崇拝」の意である。
 日本語で「宗教」は、オカルトだけでは当てはまらず、カルトに走った状態を指す事が多いと思う。一方英語の「religion」はオカルトまでも含めるそうだ。これが英国圏の人に「私は宗教を信じていない」というと違和感を覚えられる一番の原因だと思う。

「奇跡を信じてはいけない、奇跡は頼るものである。」マーフィーの法則より

太陽は生命の星だ2011年07月03日 16:43

 太陽が好きだ。炎天下、散歩するのが好きだ。正直、日傘をさしているのを見るともったいないと思う。こんなに気持ち良いのに。個人的には冬の日差しはギラギラしていて、夏の日差しは「先が丸い」感じで心地よい。

 これには暑さに対する考えの違いがあると思う。昔知人が「暑いけど汗かくほどじゃない」と言っているのを聞いて違和感を感じた。自分の場合は「汗かくけど暑いほどじゃない」と言う。つまり自分にとっては汗かくのはあたり前で、忌み嫌う対象ではない。

 職場ではクーラーで自律神経が狂ってしまっているせいか、風邪っぽくなる。そこで、着込んでわざわざ汗をかいている。その方が体調が崩れない。寝るときもクーラーなんかつけず、汗をだらだらかきながら寝る。起きたときはものすごく汗をかいていて、特に枕がぐっしょりだ。しかし、起きてしまえば結構すっきりする。寝ながらサウナに入ってるもんだと思い込んでいる。なかなか理解されないけど。

 そう言いつつ、鬱が酷いときは単純に暑いのが辛い。心に余裕があるからこそ楽しめるのかもしれない…。

「自然は病気の癒し手である。」Paracelsus "流行病"